第26話
「いざ埼玉」
山のように並べられた未開封のコーラ。それはまるでペットボトルの森のよう。
そいつを見つめながら、深いタメ息をつく1人のイギリス人がいた。
ご存じニック、フロム・バーンズリー。奴である。
「なぜ?なぜなんだ・・・・・・・」
自問自答を繰り返しながら、遂に開幕してしまったワールド・カップ。
「何とかなるさ」といつものノリでここまで来た、しかし今回ばかりはどうにもならなそうだ。
スウェーデン戦前日の6月1日。彼はこの時点で、母国イングランド戦のチケットを持っていなかった。
大好きな、いや命よりも大切な母国の代表が、すぐそこまで来てるというのに・・・・・・・・。
一方のアラン、フロム・バーンズリー。彼はその点抜け目が無い。
あらかじめ会社の接待という名目で、ちゃっかりチケットをキープしていた。もちろん会社の金で。
しかしさすがに同じイギリス人であっても、職場の違うニックの分までチケットをまわすことはできなかったのだ。
もはや相棒にも見放されたニック。
彼がとった最後の手段は、ワールド・カップチケットのプレゼントをうたい文句にした懸賞だった。
かくして飲み切れもしない量のコーラを買い込み、たいして好きでもないフランス人に魂を売って、
食べ切れもしないカップ・ヌードルを買い続けた。しかし結果は想像通りニックの元にチケットが届くことはなかった。
そこで話は最初に戻る。山のようなコーラとカップ・ヌードルを前にして、
奈落の底に陥った男がそこにいるというわけだ。絶望の淵でうなだれながら、
彼は親友である日本人のオダに電話をした。時刻は深夜、日付け変わって6月2日。スウェーデン戦当日である。
「ようオダ!今日のイングランド戦なんだけどさ・・・・チケット手に入ったか?」
「無理だよニック!そんなのあるわけないだろ」
「そうか・・・・・やっぱそうだよな〜。だったらせめて埼玉まで行ってさ、会場の雰囲気ぐらい味わってみないか?」
「ニック、何を弱気なこと言ってんだよ!俺は日本人だ、日本代表の試合だったら死ぬ気で見に行くぞ!
お前はイギリス人だろ?イングランド代表を見に行かなくてどうすんだよ!」
(その言葉にハッとなるニック)
「TVの前でどんだけ叫んでも、ピッチの上には届かないんだよ!とにかく、チケットがなくったって行って来いよ!」
「そうだよな、俺はイングランド人だ・・・・」
(それでもまだ何処かためらいがちのニックに、オダがダメ押しをかけた)
「いいか、いい日本語教えてやるよ。いざ埼玉!」
「Iza Saitama? イザ サイタマ?・・・・」
(子供のように繰り返すニック)
「・・・・それって、何?スペルは?」
「だから、いざ埼玉なんだよ!い・ざ・さ・い・た・ま!」
(その言葉の意味もわからず、オダの勢いと迫力で納得させられるニック)
「そうか!イザ・サイタマだな!行って来るよオダ!」
弱気になっていたニック。らしくない彼の背中を、無理矢理に後押ししたオダ。
眠っていたバーンズリー魂はメキメキと目覚め始め、彼はタンスの中から取り出したユニホームに袖を通した。
もちろんバーンズリーFCのシャツに。そしてそのままベッドに潜り込んだのである。
まるで遠足前の子供のような寝顔で。
目覚めると、決戦に備え軽い身支度を始めたニック。
とはいってもポケットにタバコと現金を詰め込んだだけ。もちろん手ブラだ。
”We All Follow The England!”
”Hello! Hello! We Are The England Boys!”
バーンズリーの応援歌を替え歌にして、意気揚々と電車に乗り込んだニック。
自信と誇りを取り戻した男の体からは、言葉にならない殺気が満ち溢れていた。
もちろんイギリス人だって近寄り難い、そんな男が会場に着いたのは試合開始の3時間前。
徐々に増え続けるSt.ジョージの旗、3ライオンズを身にまとう男達の歌声。
興奮のボルテージはみるみるうちにレッドゾーンへ。体の奥から熱いモノが込み上げてきた瞬間、
ニックは公衆電話へと向かった。電話をかけた相手はまたしてもオダである。
「ついにやって来たぞ!埼玉に着いたぞ。ありがとう、お前のおかげだ」
「よかったなニック、それでチケットはどうした?」
「それはまだだ、これから何とか手に入れるつもりだ。」
(受話器の向こうからはいつものニックの声、それを聞いてオダは安心した)
「そうだな、お前だったらだいじょうぶだよ」
「オダ!お前も今から来いよ!ここまで来たら、恐いモノはないから」
(いつも以上のテンションに圧倒され、逆に引き気味のオダ)
「バカ言うなよ、今からなんて行けるかぁ・・・」
「イザ・サイタマだろ!なあオダ!」
「・・・ニック・・・・。飲んでる?」
「もちろんハイオク満タンだ!」
(ニックに火をつけてしまったことに、今さら後悔するオダ。彼の本能が警告音を発している。
今の奴はカントナのカンフーキック以上に危険だ)
「行きたいけどさ、俺にはカミさんも子供もいるしさ〜〜〜」
「・・・・・・・わかった。今からダフ屋と交渉してくるよ。じゃあ切るぞ。」
「がんばれよ」
(そしてオダは自分の下した判断が正しかったことを、最後のニックのセリフで再確認する)
「見ててくれよオダ。一時間後の俺は無事に会場に入ってるか、それとも埼玉県警の牢屋に入ってるかどっちかだ!」
そう言い放ってニックは電話を切った。
夕方6時。ついにキックオフ。イングランド戦が開幕した。
TVでその中継を見ていたTA-BARの仲間達。
「カモン!イングランド!」
歓声の飛び交う店の中で、オダはただ静かに画面を見つめていた。
(すまんニック、俺には家庭がある。今捕まるわけにはいかないんだよ・・・・・・)と心でつぶやくオダであった。
結局ニックは事件を起こすこともなく、無事に会場へ入れたらしい。
ただしゲーム終了後、彼はDFのミルズに向かってこう叫んだそうだ。
「ダニー、この野郎!金返せ!イザ・サイタマ〜!」
やっぱりこの男、意味が分かってなかったらしい。
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