第9話

「SNOW TYKES」

イギリスには山が無い。
彼らがそれを「山」と呼んでも、それは明らかに「丘」なのである。
どこまでも続く田園風景、なだらかな草原の連なり。
緑に茂った草の上には羊達の群れ。
何とも牧歌的なその景色を見渡しても、残念ながら「山」らしきものは無い。
そのせいで、スキーやスノーボードをはじめとするウィンタースポーツは、
イギリス国内では盛んではないのだ。
もちろんニックとアランも同じ。
日本に来るまでは全く興味がなかった。
ある日、TA−BARの仲間でスノーボードへ行く計画が持ち上がった。
とりあえず全員初心者、ヘタでも笑う者はいない。きっかけとしては最高だ。
これを逃したら、スノーボードなんてやる機会は一生ないだろう。

「YES!」2人は即答した。

楽天的なアラン、彼は全くと言っていいほど何の準備もしなかった。
最初からレンタルで済まそうと考えていたせいか、
自慢のスキンヘッドを守るニットキャップさえ持参しなかったのだ。
フリースの上にバーバーのジャケットを着込み、ポケットにはタバコとスコッチのミニボトルだけ。
一見あまりにも無謀だが、イギリス人にとっては準備万端なのである。
それに比べて、ニックは極めて日本人的であった。
大きなバックの中身には、ファッション雑誌から飛び出したような、
流行のスノーボード・グッズが詰まっている。
まさか「スターキック」を持って来たのでは?と、みんなにからかわれながら、車は目的地に着いた。

既にベロベロに酔っていたアラン。ゲレンデに向かって突進し、子供のように雪まみれ。
その姿は腹を空かして道に迷った熊が、スキー場で暴れているかのようである。
射殺寸前のところをニックがたしなめた。

そう今日のニックは一味違う。

いつもなら2人してバカ騒ぎをするのに、とてもマジメなのだ。
と、いうよりただ単に緊張して神経質になっていた。
雨でも雪でもボールを蹴るのは得意なのに、滑るスポーツには縁がない。
次々とみんなは滑り、転げ落ちてゲラゲラと笑いながらニックを手招きする。
「早く来いよ!ニック」からかうようにアランが叫んだ。
ゴルフで最後のパットを沈めるように、慎重にゆっくりと体重をのせた。
次の瞬間、ファッションリーダーの服はあっという間に雪まみれ。
パンクの星もかたなしだ。しかし、そこはニック、負けず嫌いの野生の本能が目覚める頃には、
恐怖心もすっかり取れていた。バーンズリーの応援歌を歌いながら、黙々とスノーボードに興じる。
しばらくして、気づいたらアランの姿が見当たらない。
(まさか酔っ払って、何処かで寝込んでいるんじゃ・・・) 
「アラン!」とニックが叫ぶ。
すると下の方から聞き慣れた声。
山の斜面に両ヒザをつき、うつ伏せに倒れたままのアランがいた。
慌ててその体を引き起こす。
するとズボンのファスナーからは、「ナニ」が飛び出していたのだ。 
「手がかじかんで、ジッパーが上げられなくって・・・」とニヤニヤ喋り始めたアラン。
面倒臭いのでボードを外さずに用を足したところ、どうやらバランスを崩した為に事件は起こったらしい。
それ以来、アランはグローブを買った。
そして2人して、休暇を見つけてはスノーボードへ出かけている。

トビータイクのワッペンを縫い付けた、赤いニットキャップをかぶって。